秋葉原の通り魔事件の話

なんか近くにいたから書く流れらしいので今更ながら書いてみる。正直に書く。あと無意味に長い。

当日の流れ

発生当時同じ大学のmiz404nezikeさん、Lyphardさんの三人で現場のすぐ近くにあるリナックスカフェにいた。いきなりシャッターが閉まり、ざわざわする場面も当然あったが、最低限の情報は速やかに全体に伝わっており(まだ犯人が逃げている、といった誤報もあったし、あのような大規模な殺傷であるとは全く思っていなかったけれど)、中にいる限りは安全だったというのもあって、特に大きな混乱などは見られなかったと感じた。事件が起こって店内を飛び出して行くものもいた。僕らは犯人が捕まったという情報を得てしばらくしてから店を出て(Lyphardさんはそれより少し前、確か捕まったという情報を得てすぐ、店内から出て現場をUstreamでライブ中継などしていたらしい)、現場を遠巻きに見ながらいつもどおりに買い物などして秋葉原を後にした、というのが当日の流れ。つまり近くにいたものの事後処理の車両や人だかり、マスコミの車両などを見たくらいで、自分から情報を発信したりということは基本的にはしていない。

感想

 事件と秋葉原を関連づける報道、意見も当然あるけれど、それが正しいか否かを別にしても、結局確率から見ればあのような事件の当事者になってしまう可能性というのはあまり高くないはずだ。当時は犯人が複数犯でまだ逃げている者がいる、といった趣旨のpostがtwitterであって(出てから気づいた)、周りを気をつけながら歩いていたりしたのだが、正直なことを言えば僕の中ではどうも事件を身近なものとして感じられていない。所詮他人事というコメントをどこかで見たけれど、そんなことを言ってしまえばそこまでだし、そのように考えてしまうことがいいことなのだろうか、という疑問はもちろんあって悩む。

Ustream中継の話

 をしてみる。

 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://gunnyori.net/2008/06/69.html
 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://recently.sakura.ne.jp/wp/?p=41

 不謹慎だ、とかただの野次馬じゃないか、などと言った趣旨のブクマコメントが目につくのだけれど、これは被害者側の視点に立った意見、と見ればわかりやすいのだろうか。確かに被害者の側から見れば、刺されて関係者が全力で救助やいろいろしている中で、ただカメラを構えているのはけしからんねーという話にもなるのかもしれない。しかし、あの当時現場にいて、カメラを構えていた人たちは、被害者を助けるという意味では恐らく無力だったのではないか、と思う。
 不謹慎などと言ってしまえば、そもそも報道などというものは往々にしてそういうものであると僕は思っている。しかし報道することにはその不謹慎さを補って余りあるほどの価値が確かにあるはずだ。事故の知らせを聞いて続々とやってくる新聞記者と、たまたま現場に居合わせてUstreamをする一般人との間にどれほどの差異があるというのだろう。プロ意識、などと言うのかもしれないがそういった意識を持ったプロが果たしてどれだけ存在しているのか疑問。
 ただ、Ustreamしたことがこういった大きな反響を呼んだことは事実で、おそらくこれからも同じような背景で配信するたびに同じような反響が巻き起こって行くのだろうということはなんとなく感じる。市民が記者になるなどと言われてもてはやされたことを考えるとなんとも言えない話だが、恐らく境界線のようなものが設定されて行くまでにはまだしばらく時間がかかるだろうし、配信する側もそのことを覚悟してやる必要があるということなのかなと思った。